お忘れ物はございませんか
Skeb納品物
約6300字
納品:2023/12/14
修正:2023/12/16
Skebリクエスト
現代物、人間×幽霊(?)、(恋愛描写無しの)BL
©柊コウタ
Skeb納品物
約6300字
納品:2023/12/14
修正:2023/12/16
Skebリクエスト
現代物、人間×幽霊(?)、(恋愛描写無しの)BL
©柊コウタ
◆タクシー運転手、黒松 佑暉
黒松 佑暉《くろまつ ゆうき》、三十二歳。職業は夜勤のタクシー運転手である。
書き入れ時の夜十一時過ぎ、カーナビに表示された配車指示に従いタクシーを走らせる。待っている客がだいぶ酔っていると遠目にもわかり、車を停め、後部ドアはまだ開けずに素早く運転席を出た。客の名前を確認してから先手を打つ。
「御用命ありがとうございます。お忘れ物はございませんか」
「へ?」
普段なら降りる際に言われる言葉を乗る前にかけられて一瞬固まる酔客。だが下手な遠慮は無しである。正直なところ自分はあまり愛想が良いほうではないけれども、堂々と丁寧に対応すれば良い結果に繋がりやすくなる、というのは経験上知っていた。
「お手荷物、少ないようなので。お店にお忘れ物などございませんか」
「おわすれものは~だいじょうぶぅ~」
「それなら何よりです。お財布もありますね?」
「おさいふ? ……あれ、ちょっと待ってねぇ~」
「ええ、ゆっくり確認してください」
客が上着のポケットや鞄を漁るのを、素直なお客様で助かった、と思いながら見守る。財布は無事に見つかった。
「うん、あるある~」
「良かったです。本日はどちらまで」
「えぇと、墨田区の……」
口調や動きが徐々にしっかりしてきた。
「承りました。どうぞご乗車ください」
ドアを開けてそう言い、会釈と手振りで車内へ招く。客はVIP対応みたいだと喜びながらタクシーに乗った。
この酔客程度であれば、特に難しい対応は求められない。さらに行儀の悪い客、気難しい客など幾らでも居た。それなりに苦労はある。しかし大抵の客はこちらがきちんと働けばきちんと利用してくれるし、礼を言ってくれる人も多い。客からありがとうと言ってもらえるのは、単純かもしれないがやはり嬉しいものだった。自分の性に合った、悪くない仕事だと思う。
タクシーが夜道を走る。
「運転上手だねぇ」
「ありがとうございます」
客は酔いが醒めてきて、今度は喋りたくなってきたらしい。
「こないだ取引先が車で迎えに来てくれたんだけどさ、走ってたらバイクとぶつかりかけて」
「え、お怪我とか」
「それは平気だったんだけども、もうバイクも取引先の人も大騒ぎ、警察呼んで二時間よ。俺はやること無いけど移動もできず車からは降ろされて立ちん坊」
「うわ、そりゃ災難でしたね」
「ほんともう参っちゃった。今日は乗り心地が良いから癒されるねぇ。椅子もふかふかだし。お宅にお迎え頼んで良かった」
「どうもありがとうございます。運転手冥利に尽きます」
ミラー越しに、笑みを添えて静かに礼を言う。
どんな時でも安全運転、が信条だ。たとえ危険運転の車に接近されても、たとえフロントガラスの上のほうから血塗れの手が現れたとしても、ハンドリングは平常通りに、ため息ひとつで済ませてみせよう。実際そうしてきた。
ちなみに血塗れの手は比喩ではない。稀にそういう目に遭う。心身共に健康なのは確認済み、お祓い等も効かなかったので、これは体質のようなものなのだろう、と諦めていた。
閑話休題。
何が起ころうとも道路交通法は遵守。急ハンドルや急ブレーキも緊急時以外は無し。安全第一、丁寧な運転と冷静な対応で、トラブルに巻きこまれやすい夜勤のドライバーでありながら、無事故無違反の記録を伸ばし続けている黒松 佑暉なのであった。
◆困り顔の乗客(仮)、日下 幸矢(仮名)
無事に客を降ろし、佑暉は車を発進させた。
時刻は零時を回ったところ。近辺のバスや電車が終業し、帰りの足が無くなってタクシーを使う人が増える稼ぎ時。――だと言うのに、今夜は珍しく迎車の指示が入ってこない。流しも空振り。これは普段より早めの休憩を取ることになりそうだった。佑暉はこの後の動きを軽く検討しながら、駅前のロータリーに向けて街中を走る。
その途中。
こちらに向かって手を挙げている、すらりと細いシルエットを歩道に見つけた。路肩に停まるとシルエットの持ち主は若い男だった。手に折り畳んだメモ紙らしき物を持っていて、良かった、と何やら安堵の息を吐いている。道でも訊かれるのかと思ったが、後部ドアを開けると近づいてきてそのまま乗りこんできた。客ではあるらしい。
どちらまで、と声を掛ける前に客が口を開いたので、佑暉は客の言葉を待つ。
「あの……」
しかし客は口籠ってこちらを向いた。ルームライトに客の顔が照らされる。
佑暉はその顔立ちを見て、あまりの美形ぶりに言葉を失った。滅多なことでは動じない、という自負が吹き飛ぶ思いである。自分の中の『美形』という言語の概念が速やかに粉砕され、新たに成形されていくような感覚すらあった。
二秒ほど圧倒されてから、この男は人間ではない、とも感じて我に返る。明確な根拠は無いが、この男からはどうも血塗れの手の時と同じ気配を感じた。幽霊であるとか、そういった類の。人間離れした顔立ちも、そもそも人間でないなら納得できるというものである。
業務は中断。怪奇現象に支払いは望めない。
「あんた、行き先は? 俺はこの世しか案内できないぞ」
接客口調をやめて声を掛ければ、客、改め『幽霊っぽい男』の顔に安堵の色が深まっていった。けれども今度は悩み顔へと変わってしまう。そして手にしていた紙を広げ、佑暉に見せた。
「すみません、これ……」
紙には目的地までの地図、ではなく、彼の似顔絵らしきものと名前が書かれていた。『日下 幸矢』。素直に読むなら“ひもと ゆきや”か。字面の縁起は良いのにな、などと余計なことを考えつつ、続く話を聞く。
「たぶん僕の絵かなって思うんですけど、その、僕、何も覚えてなくて……この名前、ご存知ですか」
しおしおと困り果てた顔で彼は言った。今度は謎めいた美貌のイメージが吹き飛ぶしょぼくれ顔である。
と、それはさておき。
この男は『絵を手にした経緯』ではなく、『絵と名前』つまりは自分のことを何も覚えていない、と言っているらしい。
「悪いが、知らん名前だな」
とりあえず正直にそう答えると、更にしおれる美形の幽霊(仮)。佑暉は紙に書かれた字を指して尋ねた。
「名前の字に見覚えは?」
「全然」
首を横に振って幽霊(仮)は続ける。
「僕の顔とこの絵は似てるんですけど、でも、なんだか他人の名前と顔を見てるみたいで」
「要するに、自分が何なのかも、どこへ行くべきかもよくわからん、と」
「はい、すみません……それに、その、周りの人、誰も僕のことに気づいてくれないんです」
そりゃそうだろなとは言わず、頷いて続きを促す佑暉。
「話しかけても、目の前に立ってもダメで」
幽霊(仮)の男は肩を落とし、眉も八の字。
「物は触ったり持ったりできるんですけど」
「へえ」
「ずっと歩き回って、外も真っ暗になってしまって。タクシー見えて、これも無理かなぁって思ったんですが、呼んでみたら停まってもらえて」
「それで声掛けてきたってわけか。で、幽霊らしいと自覚はあるがどうしたら良いかわからん、と」
「そうなんですよぉぉ」
助手席の肩辺りに縋る幽霊(仮)。その動きで車体が少し揺れた。重さが無いというわけでもないらしい。ただ、他の人には見えないだけ。
「……なぁ、名前もわからんって言ってたが、とりあえず今のところは『幸矢』で良いか? 日下 幸矢」
「あ、はいっ」
男は頷いて、ひもとゆきや、と繰り返す。
「じゃ、あんたの名前はひとまず幸矢で」
「ありがとうございます運転手さん!」
「幽霊に礼を言われるの変な気分だな」
「ええーっ」
◆思い出せないもの探し
そりゃ確かに幽霊かもしれませんがとごにょごにょ答える幸矢。幸矢からすれば、自分はただ記憶の抜け落ちただけのフツーの人、という感覚。仮の名前でも誰かが呼んでくれるだけで有難いのだ。そう話そうとしたが、白手袋の手をひらりと振った運転手に遮られた。
「気にすんな。俺は佑暉だ、黒松 佑暉。黒い松、人偏と右、日偏に軍隊の軍」
説明を聞き、ふんふんと頷く幸矢。なんとなく、黒いタクシーや、強そうで頼もしいイメージを連想する。ひょろりとした自分とは反対に、彼は小柄でがっしりめの体格、落ち着いた言動。名は体を表す、という言葉が思い出されて少し楽しくなった。
「佑暉さんて呼んで良いですか?」
「どーぞ。ともかく、だ。何にもわからんなら、見覚えのある物でも人でも探してみたら良いんじゃないか?」
「確かに、そう、ですねぇ……」
またさっきみたいに一人で歩き回るのかぁ、と再び自分の肩が落ちていく。あの心細さは尋常ではない。誰も立ち止まってくれず、無視され続ける街の中、何を探したらいいのかもわからず歩き続けるのは大変だろうな、と思った。
「だからしばらく俺の仕事中、一緒に乗ってろよ」
「えっ!」
「え? だって、車に乗れるんだろ。他人からは見えない。お客様は基本的に後ろに乗るから、幸矢は助手席にでも座ってりゃぁ良い」
「良いんですか!?」
「良いって言ってんだろが」
「ありがとうございますっ! 是非! お願いします! やったー!」
「静かに」
「はいすいませんっ」
あと、と佑暉が続けた。その真剣な面持ちに居ずまいを正す幸矢。
「仕事中は今みたいに話しかけたり喋ったりすんなよ。あんたの声でお客様の声とかナビが聞き取れなかったりしたらその場で放り出すからな」
「わかりました、黙ってますっ」
「なら良し。じゃあ行くか」
「よろしくお願いしまぁーす!」
助手席に座り直しタクシーが動き出す。客が見つかるまでは喋ってて良いぞと言われた幸矢は、窓の外を眺めながら、じゃあ、と佑暉の仕事の流れを尋ねてみた。
「夕方に始業。営業所で車両点検とかやって、営業開始」
「あ、そうか夜勤……」
「基本的には流しで客を探してる」
「ながし」
窓の向こうの見知らぬ街並みに突然食器洗いのイメージが浮かんで混乱する幸矢。
「街ん中を走って、さっきのあんたみたいな客を探すこと」
「あ~!」
幸矢の頭の中の食器たちは無事綺麗に片付けられた。佑暉が続ける。
「あとは、カーナビ画面に無線の配車指示が届く。それが来たら応答して迎えに行く」
「無線……そういえば、トランシーバーみたいなあれ無いですね。静か」
「うちの会社はもうだいぶ前に、みんなこれに文面で連絡が来るようになった」
ハンドルを握る左手の小指だけで、カーナビの画面を指す佑暉。
「そうなんですか!?」
「ここら辺りは大体みんなそう。人が多い都心はこっちのが便利だから」
「へぇぇ。あ、すいません話遮っちゃって」
「別に。どこまで話したっけか」
「えーっと、流しと、配車指示と、ってとこです」
「そうだった。他には、休憩を兼ねて駅前の付け待ち……タクシー乗り場でよく車並んでるだろ、あれもやったりする」
先回りで教えてくれた佑暉の言葉に、外を見たままうんうんと頷く。助手席の窓の向こうには、繁華街の煌めきと、まだそこそこに多い人影が見えた。
その時、左前方の歩道に手を挙げる人が一人。佑暉の運転するタクシーが緩やかに速度を落として客の前で停まり、後部座席のドアが低く柔らかい音を立てて開く。
「すみません、上野駅まで」
入ってきた客の声に、おおこれが流し、と言いかけた口を慌てて噤む幸矢なのであった。
◆夜明け、夜勤明け
走ったり停まったりすること数時間。結局、幸矢の目に見覚えのあるものは何も見つからず、夜明けが近づいていた。
さてと、と自分の腕時計を見た佑暉が言う。
「あとはもう、営業所戻って車綺麗にして、終業の作業済んだら終わり」
「おー、もうひと息ですねぇ」
「そっちはどうだった」
「全然です」
「そか。まぁ、しゃあない」
佑暉の所属するタクシー営業所に到着。降りた佑暉に倣って幸矢も助手席を出る。洗車を始めた佑暉の手伝いをしようとしたが手順がいろいろあるらしく断られた。大人しく駐車場の車止めに座り、後ろから眺める。手際良く道具を用意し、車の清掃をする佑暉を見ながら幸矢は言った。
「タクシーこんなに長く乗ったの、たぶん初めてです」
覚えてないので違うかもしれないですけど、と付け加える。人が来るかもしれない場所なので無視されても別に良いと思った。が、応えは有った。
「俺もこんな長距離の客は滅多に無いな」
「滅多に、ってことはたまにならあるんですか?」
「無くは無い、くらいだけどな」
嬉しくなって尋ねてみればまた返答がある。無視されない。じゃあ、と問いを重ねる声が明るくなった。
「佑暉さんが乗せたお客さんの行き先で、一番遠かったのは?」
「新潟かな」
「新潟!」
「さすがにあれは腰と肩が死んだ」
「きゅ、休憩はあるんですよね」
「お客様のトイレ休憩に合わせて少し」
「わぁ、大変……あ、でも長い分たくさんお手当てがあるってことでしょ」
「そう。俺としてはラッキー。……掃除終わった」
佑暉は喋りながら車内清掃まで完了していたらしい。
「えっ、速い、わっ、ぴかぴか」
「毎日やってりゃ速くもなる」
「プロですねぇ」
「なんだそりゃ」
小さく噴き出しつつタクシーに乗りこむ佑暉を見て、幸矢も助手席へ戻る。車庫にタクシーを入れた後は、佑暉が営業所内で終業の事務作業を済ませるのを眺め、他の運転手たちが歩き回るのを眺めていた。
お疲れ様ですと言って営業所を出た佑暉。
幸矢はその左隣を歩く。今の佑暉は白手袋をしていないが、それでもなんとなくここが定位置のようで落ち着いた。
佑暉が向かったのは、駅。あっそうか、と幸矢は呟く。その呟きに反応して隣の佑暉が幸矢を見た。
「なんか思い出したか」
「あ、いや、そういうわけではなくてですね」
思わず目を逸らした幸矢に、首を傾げる佑暉。
「タクシーの仕事してるのに電車乗るんだなぁとか……思いまして……へへ」
自分の中で勝手に『佑暉は車を運転して帰宅する』というイメージが出来ていて驚いただけ、と白状するのは少々申し訳ないというか気恥ずかしいというか。幸矢の誤魔化し笑いに、佑暉がなんだそっちかと軽く脱力する。
「俺の車じゃないからな」
「そう、そうなんですよね。わかってるんですけど」
駅に着いて、人影のまばらなホームで始発電車を待つ佑暉と幸矢。日の出を目前にして、明るんできた薄紫色の空を見ながら幸矢が言う。
「これだけ空いてたら電車通勤もアリだなって気がします」
「だろ」
「行きは夕方でしたっけ、混みそう」
「本格的に混み始める前だから、まぁ」
駅に見覚えあるか、無いですねぇ、と言葉を交わし、二人は大きな音と共にホームへ入ってきた電車に乗りこんだ。
◆お忘れものは見つからず
そして、幽霊(仮)を連れ、佑暉は自宅アパートに到着。
控えめなシンプルな白地に『ツツミハイツ』と刻まれている狭い階段の前で、結局家までついてきた幸矢をちらりと見る。目を瞬かせた幸矢は、何かに気づいたようで背すじを伸ばして言った。
「お邪魔します!」
脱力、二回目。いやそうじゃなくてと言うのも面倒臭くなってくる。
「あ、大丈夫ですよ! 食事とか寝床とか要らないんで!」
明るい補足に思わず遠くを見そうになったが、どうにか視線をアパートに戻した。
「……そか。じゃあ、まあ、好きにしたら良い」
「はいっ」
「俺んち、こっち」
「はーい!」
階段を上れば幸矢が賑やかについてくる。変なのが憑いてきちまったなと思うも、後の祭りとはこのことで。
世話を焼き始めてしまったのは自分だし、こうもなるか。
血塗れの手よりはマシだしな。
納得半分、諦め半分。そういやこいつの立てる物音も周りには聞こえてないよな大丈夫だよな、と一瞬冷や汗をかいたりもしつつ、ポケットを探って自宅の鍵を取り出したのだった。
かくして。
タクシー運転手・黒松 佑暉の家に記憶喪失の幽霊(仮)・日下 幸矢(仮名)がやってきて、なし崩し的に同居生活が始まったのである。