【黒泥】実験
PBW納品物
約4000字
納品日:2022/10/15
柊コウタ運用NPCの物語
現代異能もの
執筆:柊コウタ/東京インソムニア/©アルパカコネクト
PBW納品物
約4000字
納品日:2022/10/15
柊コウタ運用NPCの物語
現代異能もの
執筆:柊コウタ/東京インソムニア/©アルパカコネクト
●記憶する
口から鼻から耳から。
眼球と瞼の隙間から。
ずるずると押し入ってきた、あの泥の感覚を覚えている。
●10月12日(水) 00:01
眼鏡を外し、寝間着代わりの長袖Tシャツとジャージに着替えていた近衛・巧のスマホが鳴った。目を細めて小さな画面を見る。大滝 統治、と表示されていた。
ゴーント「泥姫」の調査を専門に行う対策室未登録のダイバーであり、対策室と連携し、外部で調査した情報を共有してくれる多忙な協力者。また、巧は詳細を覚えていないものの、かつて泥姫の眷属「泥鏡」化した巧を呼び戻してくれた恩人でもある。
急いで着替えを終え、巧はスマホを手に取った。
『もしもし、近衛さんですか』
「はい。どうしました」
『実験を手伝っていただきたくて』
「実験……?」
問えば穏やかな声が返された。
『泥鏡経験者が、泥姫の寄せ餌になり得るか否か』
「……なるほど」
巧はあれから既に何百回もダイブをしており、その間一度も泥姫と遭遇していない。それをよく知る大滝が敢えて『寄せ餌』と呼んだ。つまり、泥鏡経験者が、そうでない者より泥姫から狙われるのか否かを知りたい、といった意味合いなのだろう。
「そのまま食われるのは御免被りますが。サポートしてくださる参加者はいらっしゃるんですか」
『それは勿論。気難しい人たちかもしれませんが腕は確かですよ。金行・依型と、木行・疑型です。ご都合、如何でしょう』
金行の依型は緊急脱出と援護。
木行の疑型は足止めと近接対応。
ああ、と大方の動きが想像できた。
「反応を見たら即脱出、ですかね」
『話が早くて助かります。この実験の後ですが、いろいろとやることがありましてしばらく連絡が取れなくなります。片平さんにもこの件は相談してありますので、申し訳ありませんが緊急の際は一旦彼へ連絡を』
世話焼きで心配性な上司の名が挙がったことに驚く。
「よくあの人が了承しましたね、この話」
ええ、と笑い含みの声が返ってくる。
『近衛さんの安全確保は最優先と説得してどうにか』
申し訳ないが明日もし彼が不機嫌そうにしていたら自分のせいだという話に少し笑って、巧は顔の見えぬ相手に頷いた。
「引き受けます。日程ですが、現状、週末なら都合がつくかと」
『ありがとうございます。今月中には実施できるよう調査を進めますので』
「了解です。こちらで何かやることは」
『普段通りに。泥姫、泥鏡にまつわる情報の収集、共有、整理、あとはまあ、体調管理ですかね』
朗らかに付け加えられた言葉に笑んで答える。
「そうですね。わかりました」
ではと挨拶を交わし、通話を終えた。
実験。囮。およそ、都庁勤めの公務員が引き受ける仕事ではない。
……そんなことは百も承知。それでも了承したのには明確な理由がある。自分の上司も、抵抗こそすれど自分と同じ理由で折れたのだろう。『ドリームダイバーだから』。『放置できぬモノが存在するから』。つまるところは、そこなのだ。
巧は無表情にスマホを置いた。ベッドに寝転がり、横向けになって布団へ入る。癖で自然と軽く丸まる体。窓辺の白いミニバラの鉢がぼんやりと見えた。
悪夢を知ったのは幼い頃。そこが、奪い奪われる戦場だと感じたのは十代の初め。手も足も出ない敵にも相対せざるを得ない理不尽を知ったのは十代の終わり。対策室職員となり、ダイバーたちができるだけ安全にダイブできるよう、調査とダイブを続けて十数年。リタイアしかけた心身が悲鳴をこともあった上げていた。
だが最近ようやく、仲間や友人を頼ることへの恐怖が薄れ、少し、休み方を覚えてきた。今ある日常を楽しんだり、数週間後の用事を楽しみに待つ気持ちを知った。だから。
人の夢を守るため。ずっと先の何かを守るため。今はただ、睡眠をとる。不変の黒いバラが咲き誇る、明るい庭園いつもの夢に意識を沈めた。
●10月12日(水) 00:07
通話を終え、大滝 統治はスマホを置く。老眼鏡を外して眼鏡立てに置き、寝間着Tシャツとスウェットに着替えて洗面台へ向かった。
ここしばらく、同じ行のダイバー同士や、血縁者同士といった"縁"が『泥姫』に何らかの影響を及ぼすか否かを調査している。泥鏡同じ行で、血縁のある親子で、かつ二人とも泥鏡化した泥姫の"子"になった経験があればどうだろうか、と。
無駄かもしれない。……が、「無駄だった」という記録の蓄積には、なる。
無数の記録を積み重ねて、全てが無意味に終わる可能性はいくらでもあった。
しかし。
「『無いと証明するのは難しい』から、な」
だから自分は、子供のような悪足掻きを諦めない。
恐らく彼巧はこの実験で、大滝という男が『恩人他人に擬態した父』であることに気づくだろう。それに関して――それだけではないが――上と少々揉めたものの、話はついた。さまざまな可能性に備え、身辺整理も済んでいる。
「ったく、酷い父親だ」
囮に使えるか実験させろというのも大概酷い話である。その上、自分は彼に、自分の生死を委ねるつもりでいた。
彼は泥に沈んだ自分を救うだろう。……そんな打算がある。なんとも虫の良い話だ、という思いも同時にある。都合良く思い込む年寄りのうわごと。
自分は息子の本音を知らないに嫌われている。楽になるほうを選んでくれればそれで良い。
それが親のすることか、とは過去に幾度となく考えた。洗面台の鏡に映った自分を嗤う。
てめぇの親はこんな奴だ。なぁどうする、巧。
●10月16日(日) 08:23
大滝から連絡があった。もう見つけたらしい。一体どうやったのだかと思いつつ打ち合わせや確認を終え、先日は丸一日仏頂面だった上司に連絡を入れた。
「大滝さんの実験、今夜行ってきます」
『……気をつけて行ってこい』
「はい。では」
引き留められるだろうかとも思っていたが、存外、何も言われず。短いやり取りのみで通話を終える。
数名の知人には、少し厄介な仕事があり数日手が空かないかもしれないのでよろしくとメールを送信。
萬屋で以前買い込んだ符に不足が無いか確認する。
こまごまとした支度をして、顔を上げればいつのまにやら昼になっていた。
●10月16日(日) 22:50
夜。巧は自室で準備を終える。
ドリームホルダーには他のダイバー二名が接触済み。巧はその二名に先導してもらってダイブする。
金行依型ホリックのダイバーは黒い長髪を束ねた神父の姿をしているらしい。
木行疑型サスペクションのほうはスーツ姿で日本刀を所持。
自室のベッドに寝た巧は、そのイメージを追って、ゴーントの居る悪夢ナイトメアへと向かった。
●*****
熱くも冷たくもない体温と同じ温度の水。
巧の現世から悪夢へと続く道は、深い深い水の層。昔は一瞬で通り抜けてしまうような浅い水たまりだった気がするその通り道を、今はゆっくりと沈んでいく。
下方に、黒い服を着た二人の男性の後ろ姿が揺らめいていた。片方は長い黒髪、もう片方は長い刀。二人を見つめ、下へ、下へ。
そして、水の層を抜け、水滴のようにぽとりと落ちた。
少年夜の姿となって悪夢に降り立った巧は耳をすませ周囲を見回す。悪夢の中は夜、見知った街並みだった。中央区、日本橋。人通りや車通りは無く、空虚な眺め。
巧は夢魔やゴーントの気配が近づいていないことを確認しつつ、首都高の高架下を渡る橋の手前に神父服の後ろ姿を認め、そちらへ向かった。黒髪を揺らして男が振り向く。その向こうには、橋の下に見える船着き場を窺っていると思しきスーツの男の後ろ姿もあった。スーツ姿の背格好に奇妙な既視感を覚えつつ二人の元へ。
「こんばんは」
「こんばんは。君が近衛巧さん?」
「うん」
「村主です、よろしく。巧さんと呼ばせてもらいますね、混ざるので」
「混ざる?」
そのときスーツの男がこちらを向いた。
その顔を見て、凍りつく。
一瞬、逃避するように最近の侵蝕事件を思い出す。知人の顔が無数に浮かぶ怪異。
……違う。怪異ではなくダイバーだ。しかし。
昼の自分と酷似した顔の人間がそこにいた。黒髪で、眼鏡も掛けておらず、昼の自分よりやや若い姿だが、それ以外はほとんど同じ。そう、まるで血縁者かのように似ていて。
巧は口を引き結ぶ。
物心つく前に姿を消した巧の父親。顔も声も、覚えていない。家には写真もビデオも無く、巧にとって「他人」となって久しかった。だが今、目の前の男が『その人』なのではなかろうか、という思いで頭が一杯だった。
確証は無い。悪夢の影響でそう見えているだけかも。ああ、だが村主は『混ざる』と言った。
推測が外れてほしい、とまだ心のどこかで願いながら、混乱気味に眉根を寄せる。
覚えてねぇのは本当らしい、と男は口を歪ませて笑った。
「近衛克実だ、よろしく」
男は、聞き覚えのあり過ぎる声で、聞きたくもなかった名前を名乗り、目を細めて笑っていた。そう、巧の恩人『大滝統治』の声で、父『近衛克実』を名乗っていた。
帰る、と言いかけたが、それを村主の声が遮る。
「お出ましですよ」
「脱出準備を」
指示を出しつつ抜刀した克実に村主が頷き、巧を見る。
「巧さん、脱出に同意していただけますか」
巧は苛立ちと鬱屈を抱えたまま短く答えた。
「いつでもついてく」
「来た」
克実の声がする。
一番最初に泥が伸びた先は村主だった。
そこへ克実が一瞬で割り込み、村主の代わりに泥を浴びる。
「確実な寄せ餌にはならんとわかっただけでも収穫だな」
口早に言って克実は巧を見た。が、滑らかに広がる泥がその顔を隠す。
「実験終了だ。あとは好きにしろ」
「何言って」
淡々とした声はもう聞こえず、巧の視界は反転する。
気づけば村主の肩に担がれていた。
既に日本橋悪夢の景色は消え、静かな墓地を歩む神父に運ばれながら、巧は叫ぶ。
「あの人は!?」
「残ります」
「どうして!!」
「別の実験のためです」
「聞いてないよ!!」
「ええ、そうですね。……申し訳ありません」
●経験する
口から鼻から耳から。
眼球と瞼の隙間から。
泥がずるずると押し入ってくる。なるほど、あいつはこんな――